曲のよくある終わり方
まず始めに私はフジファブリックというバンドが好きです。
その中でも今日は、「曲のよくある終わり方なのに、、なんだこれ、、強烈」と思ったものについて書きたいと思います。
今回のブログのタイトルである「曲のよくある終わり方」とは何かという説明からすると、、、
歌も演奏もピタッと止まる。
というとてもシンプルなものです、、汗
私がその様な曲を想像すると、勢いのまま終わると言ったような、「キレのあるスパッとかっこいい曲」を思い浮かべます。
皆さんはどうでしょうか、、私の例えに表現力がないですね、、、笑
そして私が紹介するのがまさにフジファブリックで、インディーズ時代の曲の「花屋の娘」です。
この曲は、電車の中でたまたま見かけた花屋さんで働く女の子と、自分との恋愛を妄想していく、、というとても変わった内容の歌詞です。
この歌詞についての面白さも沢山あるのですが、ミステリアスさや、不気味さ、ユーモラスな雰囲気が音で表現されています。
そしてこの曲は、「暇つぶしに駅前の花屋さんの娘にちょっと恋をした」の歌詞とその歌詞を強調する様にピタッと曲が終わります。
それは本当に、あっさりした終わり方なんですが、、じわじわと、「あれ、え、この人に何があったんだ」と不安になるくらい強烈な余韻を持たせてくれます。
この曲の他にも私が衝撃を受けた曲が沢山あります。
しかもこの曲をたまたま聴いていたからではなくて、何故か深夜の寝る前に突然思い出して書いています。
これがフジファブリックか、、、
ファンでした。
幸、不幸
幸があれば不幸があり
不幸があれば幸がある
生きていればどちらもある。
幸せを実感するのは不幸になってからだし、不幸を乗り越えたら幸せがある。
もう二度と悲しい思いはしなくないと思っていても、悲しいことは起こる。
だからと言って幸と不幸は5:5の割合で起こる訳ではないし、努力を怠れば幸せの割合は増えない。
幸か不幸か、割合で考えることはナンセンスだと思う。そうであってほしい。
平凡な毎日の中にたまに凹む日があると言うような、、そんなありきたりな幸せな生活を送りたい。
例えば、
仕事を失うこともなく、大きな病気にもかからず、大切な人を失うこともない、、、生活。
この3つは耐え難いことだと思う。でも沢山の誰かがこの状況の中にいる。私はそのことを忘れてはいけないと思うし、自分もそれを乗り越える力を身につけるため、努力をする必要があると思う。
幸せになるための努力。
怠けていたら自分は不幸になってしまうんじゃないか。そんなことを考えていた時、大切な人を失ってしまった。だから私は不安なのかもしれない。
もう二度と失わないように、、、自分は不幸だと思ってしまうことが起きないように、、、。こんなことを願ってしまう。少し虚しい。
平凡で退屈な毎日でも、これからの自分は幸せに思えると。そんな力を身につける、、、のかな。
自分を幸せに思う力と聞こえてきたけど、これはさすがに違う。
一番は、幸か不幸か考えないこと。
それが自然だし、ふっと気が抜けるような優しい世界だと思う。
読書について思うこと
こんにちは
まず始めから個人的な意見なんですけど、、、
小説の中でも主人公に共感できない時のあの失望感はどうなんでしょうか!
私はこの場合、主人公に対する意見をメモしてしまうくらい(変人)です。
特に、自分は変わり者だという世界観を持っていて周りとわざと距離を置いているような主人公、、、しかもカッコつけて周りを馬鹿にしてるようにしか見えない、、となると、
共感できねーよ!とつっこみたくなります。
最初から共感を求めているあたりで主人公と分かり合えないのですが、、、主人公に直接ツッコミを入れることもできないのでモヤっとしてしまいます。
他にも、語尾を伸ばすような喋り方のヒロインにもひっかかります。
ふわふわした雰囲気の女性なのはわかるんですけど、絶対語尾が伸びるとなると、しっかりして欲しくなります。
小説の中の世界観にも向き不向きがあるという事なのでしょうか、、、
読書をあまりしない人間なのでこういうことになるのか、あるいは器の小さい人間なのか、、涙
お手柔らかに。